バーストラウマからの自己否定感。
最近出てきたバーストラウマの影響。
帝王切開で生まれた私。
自分のタイミングでない時にこの世界に産み出された恐怖。
保育器に入っている映像。
泣いても誰も来てくれない。
お母さんはどこ?と泣き叫ぶ私。
それでも保育器の中で泣き叫ぶ声はお母さんには届かない。
聞こえない。
誰にも私の声は届かないと無意識に思っていた。
だから誰かに何かを伝えることを小さい頃から諦めていた。
相談はしない。
決めたら伝える。
1人で耐えて、乗り越えて、
無理ならその場を離れれば良いと考えていた。
でも本当は、、、
伝えたかった。
聞いて欲しかった。
受け止めて欲しかった。
人は聞いてくれない生き物だと小さな頃からそう信じていた。
私は存在を主張する事をやめた。
それは無駄な行為であり、
主張してもなんの意味もないと。
そこには大きな大きな怒りがあった。
悲しみがあるのかと思ったが、
探ってみると怒りに満ちていた。
今まで感じたことのない、
言い表せない怒り。
だけれどいつも心の奥深くにあった怒りの正体のようにも感じられ一致感があった。
感情のクリアリングをしていくと
軽くなっていった。
悲しみのもっと深くにあった怒り。
それを手放していったら、
ちゃんと伝えてみようと思えてきた。
1人で生きていくと小さな頃から決めていた私。
頼らない。
甘えない。
弱音を吐かない。
旅をして少し手放せていた感覚だったけど、
まだまだ、この世界に、そして人々に対して諦めていた感覚は持っていた。
ちゃんと話してみる。
ちゃんと甘えてみる。
ちゃんと相談してみる。
時には弱音を吐いてみる。
バーストラウマの影響がこんなにも大きいとは、、
さらに感情のクリアリングに力を入れていこうと、改めて感じたのでした。
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