新たな時代へ。
新たな時代への過渡期なのでしょうが。
とある方の女性差別発言が今大きな話題となっています。
今に始まったことではないと女性たちは強く感じている事でしょう。
黒人差別があるようにアジア人差別もあり、
それよりもはるか昔から根深くある女性差別。
これが厄介なのは、男性がその差別について認識しにくく、また女性たちも差別されている事が当たり前のような認識になってしまい、自ら自由になれるその一歩を怖くて踏み出せないところにもあるのかもしれません。
私も差別されている事を認識できたのは最近の事です。
旅をして1人でヒッチハイクをしている時に「女の子が1人でヒッチハイクなんて危ない」と言われたり、
ヤクザの方達が旅行されているバスをヒッチハイクし乗せていただいた時も「姉ちゃん、そんなんじゃ海外に売り飛ばされるぞ!」と言われたりと。
身の危険については脅されるように、
納得のいかない女性だからという理不尽な理由から女性は自由に行動できない事を教えられました。
社会にでて、年上の男性が年下の女性に敵対意識を持つ事を知りました。
嫉妬したり、嫌な事を言ってきたり、
意地悪をして才能の芽を摘み取り、
自身の地位を必死に守っているのです。
女性だから、自分よりも下にいるのが当たり前なのでしょうか。
年下の女性が自由に楽しく自分らしく才能を発揮していると悔しくなるのでしょうか?
でしゃばった行動をしたらムカつき、無視をして嫌な気持ちにさせたいのでしょうか?
いつもその滑稽な姿を見ては、
気が付いていないフリをして、
傷ついていないフリをして、
相手を煽ててその場を丸く収めては、
そんな疑問を抱いてきました。
特に私より年上の男性になると差別してくる度合いが高くなりますが、
差別に対する意識はとても薄いです。
訴えても"そんなのお前が弱いからいけない"と時代錯誤な事を言い、
自身の行動を肯定し変化の波に乗る事を拒否しているかのようです。
これは区別ではなく差別的な態度だ…。
そんな風に感じる事が増えていきました。
農業をやっていてもその事は強く感じています。
女性が1人で畑をやっている事が珍しいのか、時々知らない人たちが挨拶にやってきます。
話しかけられると決まって"女性が1人で畑をやっているなんて珍しい"や"結婚もせず何やってるんだ?"と10回は言われます。
お決まりの文句には慣れて笑って流せるようにはなりましたが、
心の中では"ヤバいでしょ…この人たち"と、
この土地の人たちの女性差別的な感覚に驚いています。
これはいくら女性がムーブメントを起こしても、男性が意識的に変わらないと私よりも年上の方たちは時代に乗り遅れていく事になるのでしょう。
そう感じたのは、20代前半の人と話す機会が多くなってからです。
彼らと話していると年上の方たちには感じられなかったフラット感が感じられ居心地がとても良いのです。
男性なのに威圧的な態度がなく、押さえつけてくるエネルギーもありません。
そしてジェンダーについての観念が薄く、
それよりも自分らしさについて強く意識して生きているように感じられました。
なので、女性にも"女性らしさ"というものを求めず、それよりも私らしさを強く求めてきます。
"男性だからこうしなければ"があまりなく、
それよりも"自分がこれをしたいか、したくないか"で物事を捉えています。
だから差別の観念があまりありません。
勝ち負けの世界にいないのです。
若い人たちにジェンダーレスな方が多いのも納得です。
このフラットな感覚に触れ、
こんな人たちが次世代を切り開いていくのだろうと新しい風を感じます。
それは以前は海外の方に強く感じられていた感覚に似ています。
(差別が強い国もまだまだ沢山ありますが、
少なくとも私が関わってきた方たちについてはそう感じています。)
日本の男性よりも明らかに、レディファーストの意識付けがあるのも一つの要因かもしれません。
押さえつけるのでも下に見るのではなく、
尊重してくれる感覚が強くあります。
"あなたはなにをやりたいのか?"を求め、
そしてそれを嫉妬せずに理解し応援してくれます。
楽しく笑ってお互いに自分らしく自由でいることを望んでいます。
そんな経験をしたからこそ、視野が広がり差別についてもキャッチしやすくなっているのかもしれません。
また、私の両親も父が専業主夫をやった時期もあり、
男性だから女性だからという役割の観念をあまり持たないように育てられたところもあるのかもしれせん。
これについては本当に両親に感謝していますし、面白い夫婦だなぁと感心しています。
今はもうジェンダーレスであり、エイジレスの時代になります。
そして、若い人たちはその感覚を持って生まれてきています。
逆にその感覚がない人たちが生きづらい時代になってきているのです。
今までは自分の意見が通ってきたようなことも、通用しなくなってくるのでしょう。
自身の中に女性軽視や、
若い人たちに対しての軽視意識を認識し、
きちんと向き合い手放していかないと今後は誰も相手をしなくなるのでしょう。
本当にそんな過渡期に来ていると感じています。
それは逆を返せば、
女性は"女性らしさ"という鎖を自ら外し、
自己一致の方向に進む事を意味しています。
恐れや不安を手放していき、
自分を信じて、
相手を尊重し言いたい事を伝えて、
自ら相手と対等な立ち位置に進んで歩み出る勇気を持つのです。
日本人がその観念を手放していけるのか。
本当の意味で相手と対等な立ち位置に立ち、
観念に縛られず自己一致していくことの大変さを痛感しました。
だけれども、時代は待ってくれそうにありません。
この変化の波に乗り自由に生きていきたいと思います。
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