カメラを再び始めてみようか。
高校生の時、
カメラの世界にハマった。
デビューまもない蜷川実花さんの写真展に
行った時の衝撃を覚えている。
その日、私は学校が終わって1人でその写真展に足を運んだ。
友達たちはいつも
"あんたは変わってるからね"と笑って
遊びの誘いを断る私を許してくれていた。
その頃の私はぴあで気になる写真展を探しては勉強の為にと見に行っていた。
向かう道中さえも心がワクワクし
いつもどんな写真に出会えるのかと
楽しみに向かっていたのを覚えている。
蜷川実花さんの写真を見たときのあの衝撃。
こんな写真、。、、
どうやったら撮れるのか、、、、。
喰い入るように構図や色合い、全体のバランスなどを息をするのを忘れるほどに目に焼き付けていた。
どうしよう。、、。、。、、
すごい写真に出会ってしまった、、、、、。
帰り道さえもニヤニヤと喜びが溢れ出ていた。
もっと写真を撮らなければ。
背中を押されたような気がした。
それから
友人たちをモデルにして沢山のシャッターを切って私なりの写真を模索したり、
学校の暗室にこもり沢山の写真を現像し
私なりの色合いを実験したりしていた。
そんな私のそばで、いつもあの時の写真が背中を押してくれていた。
大学に行ってもカメラは変わらず持ち歩いていた。
その後、バックパッカーとして世界を旅しだし頃には
好きなだけカメラのシャッターを切っては
日本にない風景を思う存分楽しんでいた。
天国のような時間だった。
今でもカメラは持っている。
しかし、何故だかカメラに触れることに抵抗が出てきたのだ。
時間がなくそこまで余裕が無くなってきたのはあるかもしれない。
だけれどもさらに奥深くを見てみると、
自己表現についての抵抗自体が強いことに気がついた。
いつ頃からそうなってしまったのか分からない。
ヒーリングをしてクリアリングしたからこそ過去生の何かが炙り出されてきたのかもしれない。
とにかく自己表現をすると、
見つかる、殺される!と恐怖に包まれるのだ。
アートの世界は好きだし、
何か創作活動をするのは好きなのに、
自分の作品だとバレるのがとても怖いのだ。
1日頑張ってカメラを持ってみても
次の日にはその楽しさが恐怖に変わり
見るのも嫌になってしまう。
だけれども、素敵な写真に合うと惚れ惚れしまた写真の世界に惹きつけられてしまう。
自由に自分を表現している人たちが羨ましかった。
なぜ私にはできないのか。。。
いつも表現したいのにできない自分との葛藤があった。
抵抗を感じ続ける日々。
少し抵抗が軽くなったので
久しぶりに今日カメラを持ってみた。
ファインダーから覗きシャッターを切る。
スマホで写真を撮るのとは訳が違う
格段の幸福感と気持ちよさがある。
スマホで写真を撮る時
真剣さもなければ楽しくもない。
そんなに良い写真も撮れていない。
それは自分でも分かっている。
あああ、
やっぱりカメラが好きだしアートが好きだ。
どんなに馬鹿にされても
怖くても、
現代では殺される事はないのだろう。
自分の内側を満たしてみる。
いつか、すぐに、また恐怖がやってくるかもしれない。
飽きるかもしれない。
それでも少しずつカメラに触れる日々を送ってみようかと思いました。
※写真はニューヨークにて。
0コメント